これは読書家の私が、よいと思った一文を紹介するコーナーです。
真面目な奴です。
今回の一文はコチラ。
「好きでない」という含み声の発想には、集団としての人間や彼等との協同作業が「ニガテ」だとするどこか書斎の人の影が落ちているのに対し、それを「嫌い」言い替える受け止め方には、騒然たる作業現場の真只中に立つ人の直截な姿勢が強く感じられるからである。
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これは白水社からでている『戯曲の窓・小説の扉』という本の中の一文である。
ふーん。戯曲の窓・小説の扉。どんな本なんすか? タイトルの感じで、M子先輩好みの硬い芸術論であることは解りますけど。
いや、確かにこの本の内容は芸術論的ではあるけれど、エッセイ集という形を取っているから、読みづらくなるような硬さはない。むしろ、1つのエッセイが10ページほどで終わるから、とても読み易い内容となっている。
へえ。件の一文はどんなエッセイで?
本書の中の『芝居が好きか』というエッセイの中に、次のようなエピソードが紹介されている。
それによれば、とある劇作家の人が「芝居が好きでない」という題でエッセーを書いたらしい。それを読んだ仲のいい俳優が怒って、「ほんとに芝居が嫌いだったら、芝居を書くはずないじゃないか」と、その劇作家に電話で言ったそうな。
なるほど。劇作家の「好きでない」という言葉が、俳優側には「嫌い」と受け止められていますね。
そう。この「好きでない」と「嫌い」の間のニュアンスの違いに興味を惹かれたと言う著者が、何故興味を惹かれるのか説明したのが、この一文。
「好きでない」という含み声の発想には、集団としての人間や彼等との協同作業が「ニガテ」だとするどこか書斎の人の影が落ちているのに対し、それを「嫌い」言い替える受け止め方には、騒然たる作業現場の真只中に立つ人の直截な姿勢が強く感じられるからである。
・「好きでない」という含み声
=協同作業が苦手な書斎の人(劇作家)
・それを「嫌い」と言い替える受け止め方
=現場に立つ直截な姿勢の強い人(俳優)
ということですね
そう。二つの言葉のニュアンスの違いを的確に表現していると思って、この一文をチョイスした。劇作家と俳優という職業敵な対比を、書斎と現場という言葉を使うことによって、より一般性のある生活環境的な対比に繋げる見事な一文である。
うーむ、もしも私が論客として、一つの芸術作品の感想を言い合う場に呼ばれたら、私はひっそりとモノローグするだろうなぁ。
――――「好きでない」という含み声の発想には、集団としての人間や彼等との協同作業が「ニガテ」だとするどこか書斎の人の影が落ちているのに対し、それを「嫌い」言い替える受け止め方には、騒然たる作業現場の真只中に立つ人の直截な姿勢が強く感じられる――――と。
M子先輩は書斎の人ですか?
もちろん。
じゃあ、実際にK林教授に言ってみればどうです?
・・・・・・
・・・・
・・
おっすおっすーー! 今日もゼミナール始めるわよー!
教授。この前、教授がおすすめしてくださったアニメ『インフィニット・ストラトス』を視聴した感想ですが。
見たの!? どうだった!?
好きではありませんでした。
………
………
貴様ァ! 嫌いとはどういうことかー! それはテメエがしっかり見てねえからだろうがぁー!!
(騒然たる作業現場の真只中に立つ人の直截な姿勢が強く感じられるなぁ……)