T中
「聞いてください。最近、私の中で子供が学校へ通うべき明確な理由が見つかりました。」
M子
な、なんだねいきなり。てゆうかそんなことに悩んでいたのかい。
T中
ええ。だってほら、最近はYoutuberのゆたぼんさんの活躍や、 多様性が重んじられる時代の流れもあって、『子供は必ずしも学校に通わなくてもいい』っていう風潮あるじゃないですか。
M子
うん。ゆたぼんさんは学校に通っていないらしいしね。教育は一人一人の個性にあった形で行われるべきで、必ずしも学校に通うことが成長への最適解とは限らないっていうのが、今の社会の考え方だ。
そんな社会の中で、私はやはり子供は学校へ通うべきという明確な理由を見つけてしまったんです。
してその心は如何に。
学校は虫をむやみに殺してはいけませんと真剣に教えてくれるからです。
え?
学校は虫をむやみに殺してはいけませんと真剣に教えてくれるからです。
……え?
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どういうことかね。T中君。説明をしてくれたまえ。
どういうこともなにも、そのままですよ。学校は虫をむやみに殺してはいけませんと真剣に教えてくれるから、子供は学校に通うべきなんです。
つまりあれかい? 君が言いたいのは『学校は命の大切さを教えてくれるから子供は学校に通うべき』ということでいいのかな。
おおむねそうです。
やれやれ。その主張は甘い甘すぎるぞ。確かに学校で命の大切さを教えることは、学校教育の重要な意義の一つだと思うが、命の大切さそのものは学校以外の場所でも学べるだろう。
例えば家庭や課外活動でも、子供に命の大切さを教えることは出来るわけだし、この理由一つだけで『子供は学校に通うべき』と言い切るのはあまりに主張として弱い。
世間は多様性社会に向けて邁進中だ。こんな主張では逆に反感を買って、誰の支持も得られないぞ。そこんとこどうなんだね、T中君。
M子さんは一つ重大な勘違いしています。
なんだね。
私が思う学校教育の意義とは、単に命の大切さを教えることではなく、命の大切さを『真剣』に教えることなんです。
ほよ? 真剣に?
例えばですよ、M子先輩ちょっと私に向かって、どうして虫を殺してはいけないかしつこく問い続ける子供役やってください。
解った。子供らしくしつこく聞いてやろう。
ねーねー。どうして虫を殺しちゃいけないのー? ねーねー?
それはね、虫さんも生きているからだよ。たった一つしかない命を、私達の勝手で奪っちゃいけないんだよ。
えー、なんでなんでー。虫はいっぱいいるじゃーん。一匹くらい死んでもいいじゃーん。
うるせえ! 世間体ってもんがあるんじゃ! 私も他人様の目がなければ虫殺して遊んどるわ! でも世間体があるから虫を殺しちゃいけんのじゃ!
ひっ!
とこのように、私は二言目でブチギレて子供には理解できない世間体という概念を叫んでしまうわけです。
それは君の沸点が低すぎる! 普通の親はこんなにキレない!
そんなことないですよ。じゃあM子さんは、子供がエアガンでカラスを撃ち落としていいか聞いてきたら、どう答えるんです?
え? エアガンでカラスを撃ち落としていいか?
そうだな、私ならまず、もしも自分がカラスの立場ならどうかっていう風に考えさせて、人間でもカラスでも鉄砲で撃たれたら痛い痛いになって嫌だよねと、共感力を育ませる方向に持っていく。それでも駄目なら鳥獣保護法などの説明をして
私はこうです。
うるせえ! 世間体ってもんがあるんじゃ! 私も他人様の目がなければエアガン乱射でカラスうちおとしまくっとるわ! でも世間体ってもんがあるからやっちゃいかんじゃ!
君はサイコパスか! なんでも世間体で説明すな!
でも誰しも一回はエアガンで鳥類撃ち落としてねえなあって思ったことありません? 私未だに小鳥を見るとエアガン撃ちたい衝動に駆られるんですけど。
ないない。そんなサイコパス的思考の持ち主は君だけだ。
そうですかね。私がおかしいだけですかね。
ああ、君がおかしいんだ。そして君の主張も解った。つまり君は『学校は教育に関するプロだから、子供は学校で命の大切さを教わるべき。よって子供は学校に通うべき』と言いたいんだな。
おおむねそうです。
確かに君にとってその考えは正しいな。学校の先生はT中君と違って、二言目にはガチギレで世間体を叫ぶなんてことしないし、真剣に子供と向き合ってくれるだろうからな。
だがその主張も簡単に反論されてしまうぞ。何故なら、一般に子供を育てる親は人間的に成熟しており、家庭内でも命の大切さについては教えることは十分に可能だと考えられるからだ。
よってT中君。君の主張はこう置き換えられる。『少なくともT中君のようにサイコパス的思考の持ち主の子供に関しては、学校や課外活動などで命の大切さを教わるべきである』と。これなら皆同意するであろう。
ドヤ。
はいドヤ顔ストップ。私はそこにトラップカードを伏せていたんです。
なぬ。
ここで見方を変えると『自分の子供を学校に通わせるべきかどうかの判断においては、自分自身の思考がサイコパス的であるかどうかを判断する必要がある』と言うことができませんか。
……。
サイコパス的思考の持ち主は、子供を学校に通わせないといけないんですから、まず自分自身がサイコパス的思考かどうかわかっている必要がありますよね。
な、なんなんだそのコペルニクス的展開は。確かにそうなるけども。自分自身がサイコパス的思考かどうか解らないと、子供を学校に行かせるかどうか判断できないけども。
私は自分の思考がサイコパス的だと思いますが、M子先輩自身はどうなんです? サイコパスじゃないんですか?
違うとも。私はまったき一般人であって、君のようにカラスに向かってエアガンを放ちたい衝動には駆られないぞ。
どうしてカラスにエアガンを撃ちたいという衝動がサイコパス的だと思うのです?
そりゃあ、さっきも言った通り、生き物をむやみに殺生してはいけないし、鳥獣保護法でも鳥類を殺傷することは禁じられているからだ。
それは『カラスをエアガンで撃ってはいけない理由』であって、『カラスをエアガンで撃ちたいと思う人をサイコパスだと思う理由』ではありませんよね?
え? あ、そうか。そうなるのか。T中君がサイコパスだと思う理由を答えるべきだったんだな。
さあどうなんです。何故私をサイコパスだと思うんです?
そ、そりゃあ、世間一般の常識に照らし合わせると君の考えはかけ離れているし。それこそ世間体ってものがあって。
M子先輩。現代はストレス社会でもあります。仮に私が残業ばかりのストレスフルな毎日を送っていたとして、そのストレスを発散するために、カラスにむけてエアガンぶっぱなしてえと思うこと自体は、世間的にはおかしなことではないと思います。
まあそう言われれば確かに。思うのは自由ということか。
しかし私は一般にサイコパス的思考と呼ばれるわけです。世間的には別におかしくないのに。ただ漠然と解るのは、私の思考が『成熟した大人って本来こうあるべきだよね』という人間一般が持っている理想の人間像とはかけ離れているということです。
うむ。
してみれば、その人がサイコパス的思考であるかどうかの判断基準は、世間一般の考えに対してどれだけかけ離れているかではなく、むしろ自分が世間の汚さやストレス社会を知らず純粋なまま育ったと仮定して、現実の自分自身がどれほどその理想の姿とかけ離れているか。だと思いませんか?
あ。あー、確かに。そういう判断方法の方が適切かもな。ストレスフルな現代社会の人間像と比較するのではなく、ストレスや穢れを知らず純粋に育ったと仮定した時の姿、つまり理想の人間像と比較して自分がどれほどかけ離れているか。それがサイコパス的かどうか判断するための基準ということだな。
そうです。そこで質問です。
何かね。
子供達を現代社会から隔離し、世間の汚さやストレスを知らせず、極力純粋なまま理想の人間像へと育てようとする施設はどこでしょう。
……。
……。
……学校か。
正解です。つまり一般に子供は学校に通うべきなんです。
待て待て待て。なんか理論が飛躍してるぞ。どういう経緯でそうなったかもう一度説明してくれたまえ。
つまり
①T中のようなサイコパス的思考の持ち主は、自分の子供を学校に通わせるべきです
②翻せば、自分の子供を学校に通わせるべきかどうか判断するには、自分がサイコパス的思考かどうか知る必要があります
③サイコパス的思考かどうかの判断基準は、純粋に育ったと仮定した時の理想の人間像と、実際の自分自身がどれほどかけ離れているかです
そこまでは解る。解るぞ。
④子供たちを社会のストレスや汚さから隔離し、純粋なままに理想の人間像へ育てようという試みをしているのが学校です
⑤子供は学校に通い理想の人間像を知ることで、将来大人になった時、自分がサイコパスかどうか自分自身で判断することができます
⑥ ⑤は②でいうように、自分の子供を学校に通わせるかどうか判断するのに必要です。
ふむふむ。
⑦自分の子供が将来結婚して、子供を育てる可能性もあります。その時にどう教育するのが適切か判断するには親である自分自身がサイコパス的思考かどうか知る必要があるので
⑧一般に子供は学校に通うべきです。でないと、将来その子が自分自身についてサイコパス的思考であるかどうか判断がつかないからです。
…………。
そうか。そういうことか。……色々と疑問はあるんだが、そもそも学校って君の言うように、子供を純粋なまま育てるとか、理想の人間像を教えるとか、そういう場所なんだろうか。
ソレに関しては、私が初めに言ったじゃないですか。
なんと?
学校は虫をむやみに殺してはいけませんと『真剣に』教えてくれる所だと。
言ってたね。
虫を殺してはいけない理由なんて『世間体』の一言で済んでしまうのに、学校の先生はあの手この手で子供たちの疑問に答え、子供たちを清く正しい方向に導こうとしてくれるわけです。
つまり、学校は子供たちを純粋なままに人類一般が抱く理想の人間像へと育てる場所なのです。それ以外になんというのです。
確かに。私は教育関係者じゃないのでその点には反論できない。
でしょう? あと例えば、最近は学校の先生に対して『社会に出たことのない人間が子供たちにモノ教えてんじゃねえよ』みたいに批判する声もたまに聞きますが、私はその声には賛同しかねます。
そりゃどうしてさ。
だって私は社会に出た結果、虫を殺してはいけない理由を『世間体』の一言で片づけた上、小鳥を見つけてはエアガンで撃ち殺す妄想をしているわけですからね。学校の先生はむしろ、学校という閉鎖空間に理想を抱き続けたまま、理想を教え続ける方がいいんですよ。子供たちは現実なぞ知る必要がないのです、子供の時はひたすら理想を追い続けるだけでいいのです。
そして子供たちは大人となった時、自分自身ががどれほど学校で得た理想の人間像から離れた存在になったかを知るのです。
ある意味、私が本物の『サイコパス』ではなく、あくまで『サイコパス的思考を持っている一般人』に留まっているのは
学校に通っていたことで本来あるべき理想の人間像を知っているため、
自分で自分のことをおかしな奴と自覚しているからでしょう。
……T中君、君の考えは解った。学校に通うことで自身がサイコパスであるかどうか判断できるというのは、斬新な視点で面白いし、それなりに説得力もある。
しかし疑念が残ることは確かだ。T中君の主張を全て飲んだとしても、子供たちを純粋なまま理想の人間像へと育てようとする施設は学校だけじゃないわけだし、例えば宗教法人なんかでも同じことは可能だし。それにそもそも何をもって理想の人間像とするのかという議論もある。
……ま、でもとりあえず今日の所はここまでにして、仕事も終わったし、飲みにいくかT中君。
行きません。
何故かね。君の学校行くべき論についてもっと深く語り合おうぞ。
学校で先輩に飲みに誘われても無理に行く必要ないって教わったんで行きません。
……。
じゃあお疲れ様でしたー。教授もまた明日ー。
おつかれー。
教授いたの!?
おしまい