今日も名文紹介いっちゃうぞ。
はいはい。今回はどんなのです?
コチラ。
どこか写真機の前身であるカメラ・オブスクーラ(暗箱)の内部を連想させる地下鉄の車内は、暴力的に光に照らし出される物体によって破れめを見せながらも、乗客たちの背景としての共通の空間を作り出している。乗客たちはグランド・ホテル形式の映画のように、この囲まれた空間に導かれ、モノローグだけの劇を演じて闇の中に退場していくのだ。
詳しくは続きを読むで。
今日の一文は白水社から出ている『写真の力』という本の中からチョイスした。
本の内容は写真に魅せられた男、飯沢耕太郎氏の写真評論集。取り扱う写真はリアルな戦争写真や現代アートのような写真まで様々。氏は写真に秘められた力を解剖するために言葉を尽くす。
面白いのはこの解剖が、写真が現実社会へ与えた実際の影響を具体的に調べるような、分析的アプローチをとっているのではなく、写真そのものが持つ力と人間の心の結びつきを探究するような、心理的アプローチを取っていることだ。
そう、それはつまり。
M子先輩好みの神秘主義的な本と言うことですね。
……。
……そういうことだ。
M子先輩の神秘主義については↓記事を参照。とても長い記事です。
M子ファンは必読!
(そんな人はいません)
で、本題に戻りますと、この一文も何かの写真に対する評論ですか?
左様。ウォーカー・エヴァンズ(1903-1975)という写真家が撮った「地下鉄」シリーズに対する考察が今日の一文である。
なるほど。すると実際にその「地下鉄」シリーズの写真とやらを見てみないと、今日の一文は評価できませんねぇ。
著作権とかの関係で写真を載せられるかどうか解らないので、見てみたい人は「ウォーカー・エヴァンズ 地下鉄」で画像を検索して見て欲しい。
ほいほい検索しますよ。カタカタ、ターンとね。
グーグルで画像検索した結果のURLリンク↓
忘れそうになるので、もう一度引用文を貼っておこう。重要な部分を太字にしてと。
どこか写真機の前身であるカメラ・オブスクーラ(暗箱)の内部を連想させる地下鉄の車内は、暴力的に光に照らし出される物体によって破れめを見せながらも、乗客たちの背景としての共通の空間を作り出している。乗客たちはグランド・ホテル形式の映画のように、この囲まれた空間に導かれ、モノローグだけの劇を演じて闇の中に退場していくのだ。
太字編集は筆者が行いました。
ふむ。画像検索で出てきたのは地下鉄のモノクロ写真ですね。確かに暗箱の内部を連想させるような色合いです。暴力的な光が暗闇の色を破りそうになっているけれど、乗客たちの背景としての共通の空間を作り出している。
さすがに的確な表現ですね。納得のチョイスです。
いやT中君、今日の一文で重要なのはそこじゃなくて、もう一文あるでしょう。
え?
ほら太字になってるところ。
乗客たちはグランド・ホテル形式の映画のように、この囲まれた空間に導かれ、モノローグだけの劇を演じて闇の中に退場していくのだ。ってとこですか。
そう! そこぉ! 超カッコイイ! ハードボイルドで最高!
え、え? 確かに、モノクロの地下鉄写真にはピッタリな表現ですけど。
いいやT中君。この一文はただの写真考察のレベルには留まらないよ。
こう、私のイメージとしてはだな。錆びれた街並みを一人で歩きながら、煙草をふかして、ロングコートを重くはためかせ。
――――私達はみな、グランド・ホテル形式の映画のように、この囲まれた空間に導かれ、モノローグだけの劇を演じて闇の中に退場していくのだ……。
と、言うのが理想形なのだ! くぅ~! いい文章を書くよなぁ! 文章の向こうに郷愁漂う男の背中が見えるよなぁ! こういう一文を書いてこそ文士っていうんだよなぁ!
(文章に対する感受性がスゴイな)
(ちなみにグランド・ホテル形式というのは群像劇のことです。主人公を定めず、登場人物のそれぞれにスポットを当てるような物語のことですね。アニメだとSHIROBAKOやデュラララ!!がそれにあたります)
K林教授にも読んでもらって、このハードボイルドな喜びを共有しよう!
・・・・・
・・
うっすー。世界でもっとも優れた洞察力を持つ女、K林教授がやってきたわよー。
教授! これを読んで!
えー何々今日の一文は~。
(どうせすぐ影響されるんだろうなぁ)
・・・・・・
・・
――――写真機の前身であるカメラ・オブスクーラ(暗箱)の内部を連想させる教授室の中は、暴力的に光に照らし出される物体によって破れめを見せながらも、学び舎の背景としての共通の空間を作り出している。
――――私達はみな、グランド・ホテル形式の映画のように、この囲まれた空間に導かれ、モノローグだけの劇を演じて闇の中に退場していくのだ……。
――――勝手に退場してOK