さあ、今日もK林ゼミナールを開講するわよ。
当ゼミでは、政治経済からユーチューブの面白動画まで、幅広い話題について論駁することにより、情報が氾濫する昨今のネット社会において、効率的かつ合理的な情報の取捨選択を可能とする普遍的な思考能力を会得することを目的としている。
さあ今日も、論駁論駁ゥ! 取捨選択ゥ! 普遍的な思考能力ゥ! YO!
そんなK林ゼミの本日の名文紹介はコチラです。
併しこの区別は、主に作家の用語の種類から来るもののようであって、例えば、何々的な何々がどうしたという風な、そしてそのどうしたが漢音の熟語に「する」という語尾が付いた動詞になっている種類の文章を書けば、知的な作家であるということになるらしい。それ故に、批評家は凡て知的であるが、小説家の中には知的でないのもいるという結果が生じる。
……。
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貴様ァ! 教授が知的でないと愚弄する気かァ!
落ち着いてくださいK林教授。まずは文章を解読していきましょう。
知的(笑)な文章=「〇〇的な」+「何々が」+「漢音の熟語&する」
ということだろうがァ!
漢音の熟語ばっか使ってる奴は知的(笑)と言いたいんだろうがァ!
さすが教授。憤慨しながらも理性的な要約が出来る頭脳に敬服いたします。
知的風のお世辞でごまかすんじゃない!
まあまあ。教授は実際知的なんだからいいじゃないですか。
……ジトー。
考えてもみてください、教授。デマやフェイクニュースが氾濫する昨今のネット社会で、正しい情報を発信・受信するには、全ての言葉を理性的な自我によって支配することが大切なのです。
……言葉を理性的な自我で支配?
含意される意味が明確な言葉を使い、自分の主張をはっきりさせることです。
はあ。
例えばですね……
このアニメのいい所はぁ・・・反対意見もあるかもしれないけれどぉ、自分の考え持つことが大事って教授も言ってたしぃ・・・なんかぁ、リアルな声優さんの演技がいいと思いましたぁん。
と、言うのより
当アニメに特筆すべき優れた点は――――反対する人間もいるだろうが、K林ゼミの学生たる私は批判を恐れず発言すべきだ――――近年の萌えアニメ文化の潮流に媚びない姿勢を示した、声優陣の反記号的な演技であると、全ての反対を退けて主張する。
と言う方が、正しい情報っぽいでしょう?
……一理ある。(顔芸の気がしないでもないが)
でしょう?
「〇〇的な」+「何々が」+「漢音の熟語&する」
という文章の書き方は、真理を追い求める論者にとって必須なのです。
これが最も自分の意見を主張するのに適した形なのです。
むむむ、なるほど。そう言われると、そんな気もしてきたなぁ。
さっきはすまないM子君。取り乱したようだ。やはり我々はこの知的な文章の書き方に誇りを持つべきであった。
解ってくれればいいんです。
仲直りの証に歌いましょう! YO! YO!
♪ 論駁論駁ゥ! 取捨選択ゥ! ネット社会の溢れる情報、裁いて見せるぜ思考能力ゥ! ♪
♪ 最適探すぜ合理的! 最短時間で効率的! 勝ち得た真理は普遍的! ♪
♪ 理性なるものみな人間! 人間たるものみな理性! ♪
♪ すなわち我らの問題は! ♪
♪ 生きるか死ぬかのそれだけ! ♪
♪ 生きるか死ぬかの問題にィ! YEAH! ♪
♪ 半端な言葉は犬死ィ! YEAH! ♪
・・・・
・・
ちわーす
♪ YO! YO! T中番長! お前も混ざるかハムレッツゥ! ♪
♪ 好きな料理はオムレッツゥ! 実家じゃかけるぜマヨネーズゥ! ♪
……何やってんすか?
まあいいか。今日は私も名文を持ってきました。
(前略)ハムレットがいう、"To be or not to be,That is the question"は、最も著名なセリフで、坪内逍遥訳は「世に在る、世に在らぬ、それが疑問じゃ」であるが、ぼくらは何となく、「生か死かそれが問題だ」といっていた。(中略)「新体詩抄」の尚今居士のように「永らふべきか但し又、永らふべきにあらざるかここが思案のしどころぞ」と流麗な浄瑠璃風に訳した文字もある。
永らふべきか但し又、永らふべきにあらざるか。ここが思案のしどころぞ。
んん~、実に日本的ないい響きです。一般的な「生か死か~」の翻訳文にはない温かさがありますし、これなら日常会話でも恥ずかしがらずに言える気がします。
生か死かそれが問題だなんて、書くことはできても、口には出来ませんからねぇ。
大体日本人には西洋哲学の言葉は似合わない。短い言葉の中に真理を含意するような図々しさは日本人にはない。
我々日本人は言葉と言葉の”間”の中に真理を込める。だから、優れた翻訳家は”間”が出来るような訳文を作り出す。
永らふべきか但し又――永らふべきにあらざるか――ここが思案のしどころぞ。
自己主張が強すぎる概念の言葉は”間”が作り出せない。”間”がなければ、本音と建前を使い分ける日本人達の陰湿でねちっこい視線を受け流せない。
人前でハムレットの名言をそのまま言おうものなら、陰でアイツは海外ドラマを見過ぎだとネチネチ言われるに決まっている。
だから、日本人の言葉には”間”が必要不可欠なんです。”間”は真理が籠る空白であると同時に、ネチッこい視線を受け流すための機構でもあるのです。
推測ですが、有名なアイラブユーを月が綺麗ですねと訳したのも同じ原理が働いているのではないでしょうか。
ん~、海外の優れた文化を、自国の文化に馴染むようアレンジする。こういう能力を知的って言うんだろうなぁ。私も日本的な言い回しが出来るようになりたいなぁ。
……。
……。
あれ? どうしたんです?
……。
……。
書くべきか但し又、書くべきにあらざるか、ここが思案のしどころぞ。
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