T中君、目を閉じてくれたまえ。
ほい。閉じました。
ではこれを触って。
……何すかコレ? 花?
今日の名文はこちら。
色がわからなくても、形で美しいと思えるだろうと言われるかもしれない。でも、こと花については色彩なしの花弁は、葉っぱとたいして違わない印象しか私には与えないと言ってもよい。(中略)たとえば、美しいと言われるボタンの花も、私の感触ではおいしそうになってしまう。なんだかデコレーションケーキの生クリームで花びらを作ったかのように思えるのだ。
三宮麻由子(2002)『鳥が教えてくれた空』p151、日本放送出版協会
詳しくは続きを読むで。
やっぱりただの花じゃないですか。
そう。我々にとっては、ただの花としか形容できない。
今日の一文は、『鳥が教えてくれた空』という本にでてくる。
著者の三宮さんは四歳の頃に失明して、それ以来、ずっと目の見えない生活を送っているという経歴の持ち主。本の内容はエッセイ集で、三宮さん自身の体験をもとに、目が見えないならではの自然観が綴られている。
かわいそうに。盲目なんですね。
件の一文は本書の『花の愛で方』というエッセイの中に出てくる。
我々が通常やっている、色と形の微妙なバランスを目で楽しむという花の鑑賞の仕方は、三宮さんには出来ない。目が見えないから、花の色が解らない。
色が解らずとも手で触って形を確認すれば花の美しさを感じ取れるのではないか、という疑問に答えたのがこの一文。花に対する表現の特異性に注目して、もう一度読んでほしい。
色がわからなくても、形で美しいと思えるだろうと言われるかもしれない。でも、こと花については色彩なしの花弁は、葉っぱとたいして違わない印象しか私には与えないと言ってもよい。(中略)たとえば、美しいと言われるボタンの花も、私の感触ではおいしそうになってしまう。なんだかデコレーションケーキの生クリームで花びらを作ったかのように思えるのだ。
三宮麻由子(2002)『鳥が教えてくれた空』p151、日本放送出版協会
・盲目の人が感じる花
=形だけの花
=色彩なしの花弁
=葉っぱと変わらない
・たとえばボタンの花びらは
=デコレーションケーキの生クリームでつくったかのよう
ということですね
その通り。相変わらずまとめるのが上手い。では締めに入ろう。
了解です。
常に色に囲まれた世界にいる我々には「色彩なしの花弁」を想像することも出来ないし、花弁を葉っぱと同じだなんて考えることは出来ない。
そこには圧倒的な隔絶がある。花を見れば無条件に美しいと感じるこの世界とは隔絶された、全く別の世界がある。
隔絶は特異な表現を産み落とす。
デコレーションケーキの生クリームで作った花びら。
この尋常ならざる表現だけが、我々に隔絶の存在を知らしめることが出来る。
それは名前も知らぬ異国から送られてきた一枚の写真のように――――
――――ただ一つの表現が、我々に未知の世界を垣間見せる。
だから、我々は本を読むのである。
2019.08.20 K林なんでもゼミナール M子学生&T中番長
ルールールー。
ルールールー。
・・・・
・・
おいっすー。今日もゼミ始めるわよー。
教授。目を閉じて、これを触ってください。
え、何々? 触ってモノあてゲーム? 私得意よ、こういうの。
ん~、このデコレーションケーキの生クリームで作ったかのような花びら。
牡丹の花でしょう。
ほら当たった正解! 正解! 私天才!
だが、この世界には圧倒的な隔絶を、意図もたやすく乗り越える者がいる。
それは夢の世界を描く画家のように――――
――――空想の表現だけで、未知の世界を創り上げてしまう。
だから、なおさら我々は本を読むのである。
2019.08.20 K林なんでもゼミナール M子学生&T中番長
ルールールー。
ルールールー。