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短歌「ポエム精神の否定と肯定」

T中
こんにちは。こちらK林なんでもゼミナールの短歌四コマ部です。今週も四コマ漫画で短歌やっていきましょう。では解説の文士M子先生よろしくお願いします。

M子
はいはいお願いします。今回はなんと二作続けてのご紹介となります。ご覧ください。


具体性

備えぬ思想

価値は無し

ポエムやってず

一歩踏み出せよ



友ならば

彼女に愛を

寄り添いを

ポエムのような

星降る夜を


T中
……これは、対照的な短歌ですね。

M子
これを見て対照的だと気が付けるとは、さすがT中君。長年私の助手を務めているだけはある。

T中
ははは、解りますとも。両歌とも下の句が「ポエム」から始まっていますし、内容的には前者の歌がポエムを否定するような内容。後者は逆にポエムを肯定する内容、となっていますね。

M子
その通りだ。T中君、なんだか今日は冴えているね。

T中
どうも冴えTです。

M子
では、そんな冴えTと文士Mでお送りする短歌解説。気になる方は続きを読むをクリック。

M子
さて、一つずつ短歌を見て行こうか。まずは前者「具体性備えぬ~」の短歌についてだ。全文はコチラ。


具体性

備えぬ思想

価値は無し

ポエムやってず

一歩踏み出せよ



T中
ポエムを否定する側の歌ですね。

M子
そうだ。詳しく言うと、まずこの短歌は上の句で、我々が平生考えるような「生きる意味」であったり「本当の自分とは」といった具体性を備えない抽象的な思考には価値がない、と主張する。つまり漫画で言うところの3コマ目までの詩的表現の価値を否定しているのだ。

 ↑「具体性備えぬ~」の短歌の1コマ目~3コマ目。詩的で曖昧な表現が連続している。短歌によればこれらは価値がない表現らしい。

T中
なるほど。確かにこの漫画の表現は抽象的で具体性が備わっていませんね。「透明な運命」と言ったり「私だけが愛で汚れる」と言ったり、表現はひたすらポエム的です。

M子
そうだ。更にこの短歌はこういう抽象的な表現を否定するだけでは終わらない。短歌は下の句「ポエムやってず一歩踏み出せよ」と続く。つまり、否定の対象をポエムと明確化しながら、そのポエムから「一歩踏み出せ」と現実主義になることを突き刺しているのだ。

T中
漫画で言うところの4コマ目ですね。退職時に会社都合にするのか否かの会話はまさに現実主義者のソレです。

↑「具体性備えぬ~」の短歌の4コマ目。3コマ目までのポエムな表現と打って変わって現実的な会話である。

T中
えー、はい。文士M子先生、解説の途中ですが一つ質問があります。

M子
なにかね。

T中
この短歌は非常に力強いメッセージ性があり、主張の意味もよく解るのですが。いかんせんこの短歌は主張が激しく、抽象的な思考には「価値は無し」と言ったり、ポエムをやめて「一歩踏み出せよ」と言ったり、多くの方々から反感を買ってしまうような気がします。これでいいんでしょうか?

M子
そうだな。確かにこの短歌の上から目線の傲慢な物言いには、不快感を覚える人が続出するであろう。きっとこの短歌は多くの人に嫌われるに違いない。だからこそ、私はこの短歌を目にした全ての人に言いたい。

T中
は、はい。ポエムをバカにする意図はないと訂正するんですよね?

M子
訂正? いいや、私はそんなことしないよ。

T中
え?

M子
もとより芸術作品とは、人間が作り出した意味の繋がりが現実社会から独立して完結された状態を言う。完結された状態故に、作者はその完結の中身を社会に対する問いかけとして提示することが出来るし、また現実社会から独立している故に、鑑賞者はその独立した世界からの問いかけを現実社会には迎え入れまいと批判することが許される。芸術家は独立と完結を自負するからこそ、傲慢にも君達の世界を揺さぶり、どう批判されてもしぶとく作品を作り続ける覚悟があるのだ。

T中
な、な、な。つまり。

M子
故に私はこの短歌に関する一切の訂正をしない。むしろ堂々と言おう。この短歌を作ったのは、私文士M子であると。そして――。

M子
私が悪だと思うなら、遠慮なく私を批判したまえと――!

T中
す、すごい! なんてカリスマ的発言なんだだ! この人はただ物じゃないぞ! 今日の文士M子先生はカリスマ先生だ~!

M子
はっはっは。このカリスマ文士M子を好きになってくださった方には、こちらもオススメしておこう。小説家になろうで当ブログ管理人がやっているエッセイ集だ。面白いぞ。

文士Mの俳句・短歌エッセイ集/

↑短歌解説を主とした1000文字程度のエッセイ集。とりあえず『悪役の矜持』を読んでみて欲しい。今のM子のセリフと考え方がリンクしている。

T中
なにぃ~? カリスマが書いてるエッセイですって~? こいつぁ読むしかありませんなぁ!

M子
……。

T中
……。

M子
……と、盛り上がっている感を出しているが、実際のところこの文士M子の講演会にはいつも閑古鳥が鳴いている状態である。批判が飛んでくるほど盛況しておりません。

T中
Xフォロワー数約25名。ブログのアクセスは1日3件です。悲しいです。

M子
まあ悲観的になっても仕方ないし、わずかばかりの聴衆に向けて話を進めよう。

T中
はい。わずかながら読んでくださっている人もいますからね。

M子
ではT中君。この「具体性備えぬ~」の短歌は一言で言えばどんな短歌かな?

T中
そうですね、「詩的表現(ポエム)での思考を否定する現実主義の歌」といったところでしょうか。

M子
その通りだ。さすがT中君。いつも簡潔にまとめてくれる。

T中
ははは。長年M子先輩の合いの手役を務めていますからね。

M子
いいぞ。ではその調子で2つ目の短歌を解説しよう。みんなもう短歌を忘れてしまったから、もう一度貼り付けておく。

T中
はい。二つ目の解説も気合入れていきまよ。


友ならば

彼女に愛を

寄り添いを

ポエムのような

星降る夜を


T中
こちらは先ほどの「具体性備えぬ~」の短歌とは打って変わって、言葉遣いが文学的になりましたね。強い物言いや現実主義感はありませんし、もちろん批判されることもなさそうです。

M子
そうだな。万人にいい印象を与えようと思って言葉を選んだよ。上の句「友ならば彼女に愛を寄り添いを」は言葉の意味がストレートに伝わるシンプルな作り。そして下の句に「ポエムみたいな星降る夜を」という文学感のあるパワーワードを持ってくることで、全体を神秘的な雰囲気に仕立て上げている。

T中
なるほど、確かに神秘的ですよね。文字面だけ見ても何か不思議で優しい気持ちが伝わってきます。

M子
そうであろうそうであろう。更にこの短歌はただ神秘的なだけでなく、具体的なメッセージ性も十分持ち合わせていると思う。友達ならば愛と寄り添いをもって接するこ。彼女が深く傷ついて、思考が沈んでいるなら、ポエムのような星降る夜を共に過ごすこと。四コマ漫画と合わせて読めば、更に肉薄したイメージが掴めるだろう。

↑ 「友ならば彼女に愛を~」の短歌の1コマ目と2コマ目。大人の恋愛が詩的な表現で描かれる。果たして、この詩的表現は無価値なものなのか。

T中
1コマ目、2コマ目です。大人の女性の恋愛模様が詩的な表現で描かれております。切ない恋だったのでしょうか。キャラクターの表情が辛そうです。

M子
果たして、先ほど紹介した「具体性備えぬ~」の短歌のように、これらの詩的表現を無価値と切り捨てるべきなのか。判断が揺れてくるな。

↑「友ならば彼女に愛を~」の短歌の3コマ目と4コマ目。傷心中の彼女を救うため、彼女の手を引いて星空の見える丘へとくりだす。

T中
続いて、三コマ目。四コマ目。傷心の友を慰めるシーンと二人で星空を見上げるシーンが可愛らしく描かれております。

M子
心が温まってくるよなぁ。友と二人で夜の丘で空を見上げる。その光景はまさに星降る夜だ。ポエムには人の心を揺さぶる力がある。決して無価値と切り捨てるものじゃないぞ。「具体性備えぬ~」の短歌の作者をぶん殴ってやりたくなるな。

T中
作ったのアンタだ。

M子
はっはっは。対極の思想を描くのは芸術家として基本だよ。

T中
さいですか。

M子
ではT中君よ。改めて聞くが、この「友ならば彼女に愛を~」の短歌は一言で言うならどんな短歌かな?

T中
そうですね。ポエムは人の悲しみや心の痛みを共感させるものであり、またポエムには人を癒す力もある。そして、そうした詩的表現に包まれた世界観は神秘的である。

M子
つまり。

T中
詩的表現(ポエム)を肯定する神秘主義の歌」ですかね。

M子
うむ。私の意図したとおりだ。先ほどの「具体性備えぬ~」の短歌はポエム精神の否定。対してコチラの「友ならば彼女に愛を~」はポエムの精神の肯定を意図した。今回の短歌は連作でポエム精神への否定と肯定の両方を表現したわけだな。

T中
ええ。「具体性備えぬ~」の方は結構思想強めな短歌ですけど、二つ並べてみると綺麗な対比になってますね。

M子
だろう? やっぱり対極となる思想を両方書くのは気持ちいいな。皆にもこの気持ちよさ解って欲しい。

T中
い、いえ。その気持ちよさが解るのは芸術家肌のM子先生だけです。普通の人は対極の思想とか考えませんし。

M子
いや皆にも解るはずだ。喩えるならボクシングと同じさ。熟練したボクサーが右ストレートを撃つ時、彼の左手は必ず顎元をガードする位置にある。

T中
え? ボクシング? どういうことです?

M子
攻撃的な思想を披露する時は、必ずカウンター(それに対する批判)を警戒して、もう片方の手で自分の弱点をガードする。ということだ。

T中
なるほど。つまりM子先生にとっての右ストレートは「具体性備えぬ~」の短歌で、左手のカードが「友ならば彼女に愛を~」の短歌、というわけですか。

M子
ふっ。そういうことだ。尖った思想を披露する時は、必ず反論を警戒しておくものさ。

T中
すごい。今日のM子先生は本当にカリスマ的ですね。

M子
私が本気を出せばこんなものさ。それより今回は二作分の解説になって疲れたな。そろそろ終わりにしとくか。

T中
はい。文字数もだいぶ多くなりましたし、今回の記事はここまでですね。

M子
では皆さん、さよなら、さよならー。思想強めの右ストレートを放つ時は、必ず左手で顎をガードするようにー。

T中
普通の人は思想強めの右ストレートを放ちませーん。

おしまい

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